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同時多発テロから2年

無事、心配されたテロもなく9月11日を終えました。アルカイダによる(とされる)テロから、もう2年が経ってしまいました。これまでアメリカが行ってきた事を考えると、こうして痛みを伴うのもしょうがない気がする反面、それにしても民間人が狙われたのは非常に残念でした。

テロが起こった当時、私は殆ど英語が話せず、朝から英語学校に通っていました。あの日の事はよく覚えています。私はその頃、目覚ましにラジオのタイマーをセットする習慣があり、その日もラジオから流れるニュースで目が覚めました。窓から外を見ると、どんよりとしたグレーの曇り空で、カリフォルニアの青い空というイメージからかけ離れたものでした。テロがあったからでしょうか、あの時の気持ちの悪い空はまだ記憶にあります。ラジオからは次々と早口で英語が聞こえていましたが、いまいち何を言ってるのか分からず、かすかに聞き取れた、「テロリズム」、「ワールド・トレード・センター」、「ペンタゴン」、「ハイジャック」といった名詞から頭の中で色々と整理しようとしましたが、まさか旅客機が次々と突っ込むなんて想像もしませんでした。当時の私はTVを持っておらず、新聞も取っていないので検討が付かなかったのです。

そして学校へ行くと、TVの前に大勢の生徒が。教師も「オーマイ・ガー」と繰り返すのみ。何があったのかと韓国人の友人に聞くと、「テロだよ」と言われ、映像を見るうちにやっと状況が掴めてきました。ニューヨークとは3時間の時差があるので、私が気が付いた頃にはすでにテロから数時間経過していました。教師の中にはニューヨークに家族が住んでいるという人も数人おり、電話が繋がらない事に苛立ちを持っていました。きっと電話がパンクしていたことでしょう。当然、その日は授業という授業もままならず、一日中誰が何を話そうとテロの話題でした。数週間は熱が冷めなかった様に思います。数週間後、アメリカが報復に出る気配になった頃、一人の白人教師は、「報復は当然。国民は皆怒ってるし、報復したら皆気分がスッキリするでしょ。」と言い放っていました。これがアメリカ人の生の声か、それとも・・・と、少々衝撃的だったのを覚えています。

テロが起こった日、企業や大学は休止となり、全米の航空機が飛行停止措置となりました。うちの近所にも小さな飛行場があったのですが、いつも聞こえてくるハズの航空機の騒音が聞こえず、シーンと静まりかえっていました。街もどこか静かでしたが、それから数日後、新聞の折込広告には星条旗が折り込まれ、近所の各家庭はその星条旗を窓に貼り付けたり、星条旗を立てていました。また、店から星条旗が飛ぶように売れ、街を走る7割近くの車に星条旗がはためいたり、窓やボディーに貼り付けられたりしました。道路の中央分離帯に建つ各街灯にも星条旗が掲げられるどころか、どの店に行っても星条旗だらけ。当時のアメリカ人には怒りと悲しみが見受けられました。現在でも数は少なくなったものの街には星条旗が見られますが、これはイラク戦争へ行った兵士達の無事を祈る意味合いがあります。戦争終結宣言があった頃は、無事の帰還を祈る意味の黄色いリボンがあちらこちらで見られました。

このテロのおかげで外国人には不幸や不便な面も沢山あったと思います。当然、銃についても新しい規制が敷かれました。私も、INS(移民局)へ運転免許書が届かない苦情を申し立てた際に、中国系職員から、「テロが起こった日から免許取得が難しくなった。あなたが免許を持つ事は不可能」と一蹴された事がありました。最終的には無事免許を手に入れましたが、その時の対応には腹を立てました。また、カリフォルニアでは善良なアラブ系移民がテロの怒りから市民に射殺される事件も起きました。もう二度とこんな事はあってはならないと思う今日この頃です。

さて余談ですが、ウェイティングピリオド待ちの私は、まだかまだかと思うあまりに手にした9mm弾を眺めたり触ったりしていましたが、おかげで弾頭のジャケットやケースのブラスが酸化してくすんでしまいました。上の写真を見てお分かりでしょうか?左側が触っていた方、右側はノータッチ。日本でダミーカートリッジにやっていた事をまた繰り返してしまうバカな私です。ああ、美しく蘇らせたい・・・。

さて、明日はサンフランシスコで行われる、Gun Showに参加してこようと思っています。もしかしたら、レポートを皆さんにお目にかけられるかもしれません。

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